浅草観光案内 1

神社仏閣編

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浅草観音・金龍山浅草寺
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 通称「浅草観音」と呼ばれており、推古36年(628年)に建立されたと言われている東京都内最古の寺です。聖観音宗の総本山で山号は金龍山、寺号は浅草寺。ご本尊は、内陣中央御宮殿安置されている聖観世音菩薩で秘仏となっています。
 現在の本堂は、昭和20年3月の米軍の空襲で焼失した旧本堂と同じ形で、鉄筋コンクリート本瓦葺、和様三手先入母屋造り、間口34.5m、奥行32.7m、棟高29.4mで昭和33年10月に建てられ、庶民信仰の寺として親しまれています。

各線 浅草駅よりトホ約5分

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雷  門
 浅草寺の総門で、右側に風神像、左側に雷神像が安置されていて、この二神像があることから風雷神門と言われていたが、いつのころからか「雷門」と言われるようになりました。現在の門は昭和35年に再建されたもので、門にさがる巨大な提灯は高さ 3.3メートル、重さ約 100キロの重量級です。

宝 蔵 門
 浅草寺の山門として、天慶5年(942年)に建立されたと言われています。慶安2年(1649年)徳川三代将軍家光により仁王門として再建され、昭和20年3月の米軍の空襲により焼失するまで、その偉容を誇っていました。
 現在の山門は昭和39年4月に復興再建され、名称も宝蔵門と改められました。山門には、国宝の法華経をはじめ貴重な什宝物が収蔵されていて、また、仁王尊像の阿形像(左)う形像(右)が安置されています。桜上中央の扁額の文字は、良尚法親王が元禄5年(1692年)に書かれたものです。
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五 重 塔
 五重塔は、天慶5年(942年)に平公雅によって建立されたのが始まりとされていて、その後数度の火災で焼失しましたが、その都度再建され、徳川三代将軍家光により再建されました。この五重塔は、国宝の指定を受けていましたが、昭和20年3月の戦災で焼失。現在の塔は、昭和48年11月に鉄骨、鉄筋コンクリート造り、建物の上に五重塔を建てる塔院づくりの方法で再建されたものです。高さは地上53.32mです。
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六 角 堂
 浅草寺六角堂は六角形をした木造のお堂で、屋根は瓦葺きになっています。浅草寺の中でも一番古く、東京23区でも室町時代の建造物では現存する唯一のものとなっていて、東京都有形文化財に指定されています。
 場所は、本堂に向かって左側、西境内にあります。

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二 天 門
 本堂の東側に建つ二天門は、元和4年(1618)に浅草東照宮(を境内に勧請した時に、将軍参詣の門とした随身門でした。浅草東照宮は現在の本堂から淡島堂あたりにありましたが、寛永19年(1642)に焼失し、淡島堂の前には石橋だけが残っています。
 門には三条実美公筆の額が掲げられ、左右には慶安年間の増長天持国天の二像がまつられており、浅草寺の由緒ある建造物中唯一、国の重要文化財の指定されています。
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伝 法 院
 伝法院は浅草寺の本坊(住職の宿坊)で、現在の建物は安永6年(1777年)に建てられたもので、特に廻遊式庭園はすばらしく小堀遠州の作と伝えられています。(中には入れません)

駒 形 堂
 駒形堂は、観音さまが上陸された地に建つお堂で、本尊は馬頭観世音菩薩。「こまんどう」とも呼ばれています。
毎月19日にお開扉され参拝でき、午前10時より法楽があります。
毎年4月19日は大祭が催されます。
 はじめは川に面して東向きに建てられましたが、たびたび焼失の憂き目にあい、寛保2年(1742年)の再建からは、川を背にして西向きに建てられるようになりました。現在のお堂は平成15年(2003年)11月に建立されたものです。
浅 草 神 社
 浅草寺縁起によると、今から1350年程の昔、隅田川で漁労に精を出していた桧前浜成(ひのくまはまなり)竹成(たけなり)兄弟が漁網の中から一像を持ち帰り土地の郷司にあたる土師真仲知(はじまなかち)に一見を請うた処、土師はこれは尊い聖観音像であり、自分も帰依するところの深い仏像であると二人の者にその功徳を説き、自邸に自邸に堂社を構えて寺とし、三人共々厚く聖観音像をおまつりするようになったといわれます。
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 これが浅草寺の起源であり、後世この3人が浅草の開拓者として、三社大権現の尊称をまつられた祭祀されるようになりました。それは権現思想(仏が神の姿をかりてあらわれる神仏同体説)の流行しだした平安末期(約700年前)だろうと言われています。その後明治6年三社権現の名称は廃され、現在は浅草神社と呼ばれている。

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 現在の社殿は慶安2年(1649年)に3代将軍家光から寄進されたもので、昭和38年の修復および平成6年からの改修で現在に至っています。
浅草観音となり

浅草富士浅間社
 通称お富士さんと呼ばれる浅間神社は、祭神が木花咲耶姫(このはなさくやひめ)で、元禄年間(1688~1703)に静岡県富士市から分社したものです。毎年5月と6月の最後の土・日曜日には富士の山開きにちなんだ浅間社の祭日で、周辺一帯に植木市が立ちます。
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 過去にはお富士さん(築山)がありましたが、昭和40年代に惜しまれながら撤去されました。近年、境内に小さいながらお富士さんが再建され多くの参拝客が登頂しています。
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浅草観音から北へトホ約10分
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待乳山聖天
 浅草観音の北に位置し、小高い丘の上にあります。正しくは待乳山本龍院と言い、本尊は、天安元年(857)慈覚大師作と伝えられる大聖歓喜天(十一面観音)です。江戸の錦絵や「江戸名所図会」「江戸名所記」などの書物にも出てくる、東都随一の眺望の名所だったところです。境内には、江戸前期の歌学者戸田茂睡の再建歌碑やトーキー渡来碑などが建立されています。
浅草観光案内1 浅草観音よりトホ約10分
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アサクサモケイ